2009年 08月 24日
ありがとう!
言葉じゃなくても気持ちやおもいは、
伝わり感じられるんだなぁ…とつくづくおもいます。

そして考え方や気持ちの持ち方は
生き方に大きく影響できるんだ、とおもいます。

今年に入ってめまぐるしくいろいろなことがありました。
ブログを更新できないし、書きたくない日々が続いておりましたが
先月末一区切りありました。
まだいろいろあって時間はとりにくいのですが
少しづつブログも続けていきたいとおもいます。

多くのみなさんに
ありがとうというおもいを伝えたいです。



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ほぼ1ヶ月前になるのですが
母が永眠しました。

8年前に末期がんと告知され、
いくつかの治療を試み進行を遅らせることは出来ましたが
数年前からは治療方法もなくなりました。

その後は通院しながら症状の経過をみつつ
がんと折り合いをつけながら日々生活しておりました。

がんからの様々な症状との闘いもありますが
生活のなかでいつも死に直面しているのですから
それ以上に気持ちとの闘いだったろうとおもいます。

8年前、母にも僕たちにもあまりにも突然
末期がんの告知だったものですから
ビックリするやら途方にくれるやで
何の知識も情報もなくあたふたしました。

何をしたら良いのか、何が分からないのかさえわからない
状態だったようにおもいます。

アメリカやヨーロッパなどの病院ではがんと告知されると、
病院に気持ちのケアをする役割の人がいて相談できるそうです。
でも日本の病院では宣告されるだけで治療や気持ちのもちようを
相談できる人には通院していた病院では出会えずいつも一方通行でした。

話や質問が出来るだけでも随分と違うとおもうのですが…
日本ではがん患者の3割ぐらいの人が、
何らかの形でうつ病になっているそうです。

病気が重くなると何人かの医者に診てもらうことになるのですが
説明や態度、人間的配慮といったあたりまえのことに欠けることが多々あり
当人も僕たちも病気以上に精神的につらくなったり
腹立たしいことが何度となくありました。

病気になると当人も家族も精神状態のバランスをとるのが難しいです。
当人は崩壊してしまいそうな精神状態のなか
今後の事を恐れるばかりの時期があったとおもうのですが
出来る限りスムーズに毎日の生活を送りスムーズに時間が過ぎる
ようにしていたようです。

僕もあまりにもがんについて知識がなかったので
細胞や免疫のことが書かれた本をいくつか読み
がんを含めた免疫について知れば知るほど奥が深く興味も持ちました。

がんとの折り合いはアレルギーとよく似ているような気もします。
がんは正常細胞から起こります、
正常細胞に異変が起こるとがん細胞に変わるようです。
アレルギーも同じで体の中にある免疫の過剰反応でおこり
アレルギーを持ちながら日常生活をしている人は身近に多くいます。
僕もいくつかのアレルギーを持ち薬などで調整する季節があります。

それと体の中にある免疫に起こっていることは、
人間社会でも身近に起こっているようにも感じられました。

人間社会の中でも相性の合う人もいれば反りの合わない人もいます
スムーズな生活をするのは
敏感すぎても、鈍感すぎても問題がおきるのかもしれません。

良いも悪いもモノの裏と表のようなもので
無くしてしまうよりも共存できるような関わり方を
何度か母と話をしたことがあります。

あまりにもレベルが違いすぎて
がんがある当人にしてみれば、言うのは簡単だけど…
というおもいもあったかもしれませんが
そんな様子は一度も見せず

既にそうであったかのような様子で
草花に目を向けたり家庭菜園をしたり
闘うというよりもうまく折り合いをつけていたようにみえました。

品を大事にする人でしたから
恥ずかしい生き方や死に方をしたくない
という思いがあったのかもしれません。

がんなどの場合、
単独の医者だけでは診るほうも、診られる方も不安で一杯になります。
外科、内科、精神科、皮膚科、眼科、耳鼻科、気持ちのケアが出来る人の
横断的なチームワークが出来ないものかとおもいます。
少なくとも外部の人が入ることで
内輪的な態度は変えられるかもしれません。

今年に入ってから容態が変わり在宅での介護や医療も経験しました。
仕事をしながら家族を看るのは大変なことでしたし
医療保険点数や介護保険の問題をリアルに知ることにもなりました。

容態は悪くなる一方で医療保険点数から入院の日数や
介護保険については分からないことばかりで時間がかかり
ここでも横の繋がりがなく僕の中では焦る気持ちが先行しておりました。

介護保険の介護認定やケアマネージャー、在宅医、看護、薬、ヘルパーなど
次々と人が出入りするのは当人にとってつらかっただろうとおもいます。

そんな中でも母は自分を見失わず考え、判断し、
ホスピスを選び自分の居所をつくりだしました。

病状が悪くなっていっても、状況が悪くなっていっても
愚痴を言わず、精神的に不安定な様子を見せず
ほぼ最後まで自分で歩き、肺がんであるのに酸素も出来るだけつけず、
自分で出来ることは自分でやり、
品のある態度で最後までいつもと変わらない
母親のままでいてくれました。

7月の末の僕の誕生日を祝い、
その2日後、僕たちのことを気遣った後寝るように逝きました。
最後まで母親でした。
入院していた病院の看護士さんに母のような逝き方が羨ましい
といわれたのはとても嬉しかったです。
僕も、母の生き方と逝き方もカッコイイと思います。

今はまだ言葉や形に表せないけど
貴重なものを授かったとおもいます。
安らかに眠ってください。ありがとう!
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by ogak3 | 2009-08-24 19:33


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